ある曲芸師の歩み

松本 達彦 TATSUHIKO MATSUMOTO

雪深い村に生まれた少年は、ある日、
宙を舞う人を見た。

土地も食べるものも足りない家に育ち、ひとつの出会いによって 生き方を決めた男がいる。これは、その半生の記録である。

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第一章

雪と、空腹と

松本達彦は一九八五年、札幌の外れにある小さな村に生まれた。 松本の家は土地を持たなかった。父は他人の畑を借りて働き、 母は町の食堂で皿を洗った。それでも暮らしは楽にならなかった。

冬は半年ちかく続いた。雪が屋根まで積もる日もあった。 食卓に毎日何かが並ぶとはかぎらず、空腹のまま眠る夜を、 彼は当たり前のこととして受け入れていた。遊び道具といえば、 雪と、石と、納屋に転がっていた一本の縄だけだった。

第二章

一座が村に来た日

八歳の秋、旅の曲芸一座が村の広場にやってきた。 荷車がひとつ、演者は六人。灯油ランプがいくつか吊るされただけの、 ささやかな一座だった。

それでも、積み上げられた樽の上で逆立ちをする男を見たとき、 少年は息をすることを忘れていた。人の体が、あんなふうに空へ向かえる。 終わったあと、彼は一座の老人に尋ねた。 「どうしたら、あんなふうにできますか」。老人は笑ってこう答えた。 「毎日やることだ。それだけだよ」

あの夜から、私の一日は
すべて稽古のためにあった。

第三章

納屋という稽古場

翌日から、納屋が彼の稽古場になった。梁に縄をかけ、 割れた樽を積み、竹竿を一本かついで細い板の上を歩いた。 誰に習ったわけでもない。見たものを思い出しながら、 体で覚えていくしかなかった。

落ちない日はなかった。手のひらは切れ、膝はいつも青黒かった。 父は「そんなものは腹の足しにならん」と怒った。 母は何も言わず、擦り傷に軟膏を塗った。 それから十年、彼は一日も縄を手放さなかった。

第四章

村を出る

十八歳の春、彼は鞄ひとつで村を出た。見送りに来たのは母だけだった。 東京での暮らしは、村よりも厳しかった。昼は工事現場、 夜は食堂の洗い場に立ち、明け方の公園で稽古をした。

金はいつも足りなかった。それでも、体を動かせる場所さえあれば 続けられた。当時のことを、彼はのちにこう語っている。 「貧しいことには慣れていました。慣れていなかったのは、 誰も見てくれないことのほうです」

第五章

海を渡って

二十一歳のとき、彼は片道の船賃だけを握って海を渡った。 ベルリン、プラハ、リヨン。行く先々の広場に敷物を広げ、 通りすがりの人の前で演じた。言葉はひとつも通じなかった。

通じたのは拍手だけだった。それで十分だと、彼は思った。 この数年で、彼は世界じゅうの曲芸師が同じ問いを抱えて 生きていることを知る。どうすれば、見知らぬ誰かの一日を ほんの少し明るくできるのか、という問いである。

言葉が通じない広場で、
拍手だけが通じた。

第六章

落ちた日

二十四歳の冬、彼は高い綱から落ちた。左の肩と肋骨を折り、 病院の天井を見つめるだけの日々が始まった。 医師は「腕は以前のようには上がらないでしょう」と告げた。

一年近く、彼は舞台に立てなかった。生まれてはじめて、 やめるという言葉が頭をよぎった。それでも、 退院の日に最初にしたのは、細い縄を一本買うことだった。 上がらない腕でできることから、もう一度組み立て直すためだった。

第七章

もう一度、立つ

戻ってきた体は、以前と同じではなかった。高く跳ぶことも、 長く吊り下がることもできない。彼は稽古のやり方そのものを変えた。 力で押しきる技をやめ、重心と呼吸を数えるところから始めたのである。

回復には三年を要した。しかしこの遠回りが、 のちに彼の仕事を決定づけることになる。 体が弱っても続けられる方法を、彼は自分の体で探し当てていた。

第八章

自分の一座を

二〇一六年、彼は仲間七人と小さな一座を立ち上げた。 資金はほとんどなく、テントも道具も中古だった。 最初の年は、全員が別の仕事を持ちながらの稽古だった。

集まったのは、どこにも居場所のなかった者ばかりだった。 学校をやめた若者、けがで現役を退いた元体操選手、 職を失ったばかりの大工。彼はその一人ひとりに、 かつて老人が自分に言った言葉をそのまま伝えた ― 「毎日やることだ。それだけだよ」

終章

受け継ぐということ

四十を過ぎたいま、彼が最も多くの時間を割いているのは、 自分の稽古ではなく、若い演者の指導である。 体の使い方、けがをしない身のこなし、そして続けるための考え方。 かつて誰も教えてくれなかったことを、彼は惜しみなく手渡す。

故郷の村には、いまも年に一度帰るという。 雪の積もった広場に立つと、八歳のあの夜の灯りが まだそこにあるように思える、と彼は言う。

ことば

松本達彦の言葉

「才能という言葉を、私はあまり信じていません。 信じているのは、昨日より一回多くやる、ということだけです」
「貧しさは恥ではありませんでした。 恥ずかしかったのは、好きなものから目をそらすことのほうです」
「落ちたことのない者に、綱の上のことは語れません。 落ち方を知っている体だけが、遠くまで行けるのです」

年表

歩みの記録

  1. 1985札幌郊外の村に生まれる。土地を持たない家に育つ。
  2. 1993旅の曲芸一座が村を訪れる。八歳で曲芸に魅せられる。
  3. 1994納屋での独学を始める。以後、稽古を欠かさない日々。
  4. 2003十八歳で単身上京。工事現場と洗い場で働きながら稽古を続ける。
  5. 2006欧州へ渡る。各地の広場で演じ、数多くの曲芸師と出会う。
  6. 2009転落により左肩と肋骨を骨折。約一年、舞台を離れる。
  7. 2012帰国。体の使い方を一から組み直し、稽古法を確立する。
  8. 2016仲間七人とともに自らの一座を立ち上げる。
  9. 2021若い演者の育成に本格的に取り組みはじめる。

ひとつの出会いが、ひとりの人生を決めることがある。
松本達彦の歩みは、いまも続いている。